
今年もお盆がやってきますね。
故人の魂は、6月の半ばごろからソロリソロリと私たちのもとへ戻り始めるそうです。「8月に一気に!」ですと、大変なラッシュになってしまうので、余裕をもって「あの世」から戻るようになっているのだと教わりました。その順番がどうなっているのか、ちょっと気になるところではあります。
かつて【補陀落渡海(ふだらくとかい)】というものがあり、南方の海上にあるといわれた観音浄土(補陀落山)を目指して、数えきれないほどの僧が熊野灘から船出したそうです。
お盆が近づくと、なぜかこの話を思い出します。
私をはじめ、親類縁者、知る限りの祖先に、修行僧がいた痕跡がないにもかかわらず。こういう思いや体験は、多くの方にあることだと思います。
それが何なのか。その答えは、はるか上空にあります。過去に関することであれば、比較的、見に行きやすいと言われています。問題は、本気度です。エネルギーを消耗するので。そんなこともあって、「不思議を不思議のまま」にして、私は今年もお盆を迎えます。
故人は、忘れられてしまうことが何よりも悲しいそうです。日常の生活の中で、折に触れ、故人に関して「あのとき、こんなことがあったな」と思い出すことも、また大事な供養の一つだと私は思っています。思い出は年を経るごとに積み重なってゆきます。それは「若くはない者のメリット」かもしれません。
故人の魂は、6月の半ばごろからソロリソロリと私たちのもとへ戻り始めるそうです。「8月に一気に!」ですと、大変なラッシュになってしまうので、余裕をもって「あの世」から戻るようになっているのだと教わりました。その順番がどうなっているのか、ちょっと気になるところではあります。
かつて【補陀落渡海(ふだらくとかい)】というものがあり、南方の海上にあるといわれた観音浄土(補陀落山)を目指して、数えきれないほどの僧が熊野灘から船出したそうです。
お盆が近づくと、なぜかこの話を思い出します。
私をはじめ、親類縁者、知る限りの祖先に、修行僧がいた痕跡がないにもかかわらず。こういう思いや体験は、多くの方にあることだと思います。
それが何なのか。その答えは、はるか上空にあります。過去に関することであれば、比較的、見に行きやすいと言われています。問題は、本気度です。エネルギーを消耗するので。そんなこともあって、「不思議を不思議のまま」にして、私は今年もお盆を迎えます。
故人は、忘れられてしまうことが何よりも悲しいそうです。日常の生活の中で、折に触れ、故人に関して「あのとき、こんなことがあったな」と思い出すことも、また大事な供養の一つだと私は思っています。思い出は年を経るごとに積み重なってゆきます。それは「若くはない者のメリット」かもしれません。