
かなり若いころからのマイ・ルールとして、「あだやおろそかに神社に近づかない」というものがありました。先祖代々、たぶん無宗教ながら、そう決めていました。要は「自分が怖いと感じるところには行かない」というだけの話ではあるのですが。
そのせいもあって、私は神社巡りというものを、意図的に行うことはありません。出先の近くに「ああ、感じがいいな。鳥居をくぐってみたいな」と思う神社があれば参拝する程度です。目的地は、だいたい神社とはまったく無関係の場所なので。
それが!
カーナビのエラーとドライバーの勘違いで、図らずも【石見国一宮・物部神社】にたどり着いてしまいました。これが数日前のことです。
山を背後にひかえて鎮座する社殿は、とても清らかで厳か、かつ立派な造りでした。場所としては、島根県の大変な田舎です。「こんなところに!?」と思ったのは、ただひとえに私の無知ゆえです。
案内板によりますと、御祭神は宇摩志麻遅命(うましまじのみこと)で、1500年以上の歴史を持つ神社だそうです。ワケもわからずに、大変なところにさまよい込んだものです。これをご縁と言うのでしょうか? あるいは呼ばれたのでしょうか? いずれにしろ、ありがたいことでした。
物部神社で「お願い」をしたわけではないのですが、帰宅した翌日に、私の願いの一つがかないました。まさに霊験あらたか!
そこで、ふと思ったのですが、神様というのは、参拝した本人が手を合わせて願わずとも、心のどこかに抱えている「重し」を取り除いてくださるのかもしれません。本人が意識している、していないにかかわらず。ありがたいことだと思います。
【石見国一宮・物部神社】には、次はみずから意図してお参りしたいと思います。お礼を申し述べたいので。
そのせいもあって、私は神社巡りというものを、意図的に行うことはありません。出先の近くに「ああ、感じがいいな。鳥居をくぐってみたいな」と思う神社があれば参拝する程度です。目的地は、だいたい神社とはまったく無関係の場所なので。
それが!
カーナビのエラーとドライバーの勘違いで、図らずも【石見国一宮・物部神社】にたどり着いてしまいました。これが数日前のことです。
山を背後にひかえて鎮座する社殿は、とても清らかで厳か、かつ立派な造りでした。場所としては、島根県の大変な田舎です。「こんなところに!?」と思ったのは、ただひとえに私の無知ゆえです。
案内板によりますと、御祭神は宇摩志麻遅命(うましまじのみこと)で、1500年以上の歴史を持つ神社だそうです。ワケもわからずに、大変なところにさまよい込んだものです。これをご縁と言うのでしょうか? あるいは呼ばれたのでしょうか? いずれにしろ、ありがたいことでした。
物部神社で「お願い」をしたわけではないのですが、帰宅した翌日に、私の願いの一つがかないました。まさに霊験あらたか!
そこで、ふと思ったのですが、神様というのは、参拝した本人が手を合わせて願わずとも、心のどこかに抱えている「重し」を取り除いてくださるのかもしれません。本人が意識している、していないにかかわらず。ありがたいことだと思います。
【石見国一宮・物部神社】には、次はみずから意図してお参りしたいと思います。お礼を申し述べたいので。