
「七歳までは神のうち」
これは、数え年7歳までの子どもは人ではなく、神の子であるとして大切にされた。
また7歳までの子どもの魂は、身体から離脱しやすいと考えられていたので、魂を身体から離れさせまいとする儀式が、7歳までの通過儀礼には一貫してある、という意味を持つ言葉です。
さらに言いますと、7歳までの子どもは、大人が失った力を持っていることがあります。
それは千里眼であったり、オーラ視であったり。
幼ければ幼いほど、こういった力は大きいのですが、成長とともに常識という知識を得るにつれ、その力を失ってゆきます。
すべての子どもがそうであるとは言えませんが、こういった子どもは意外と身近にいるものです。
私自身がそうでした。
今では考えられないことですが、かつてテレビ画面は白黒オンリーでした。
私の家にカラーテレビが来たのは、7歳のときです。
それでも、物心がついて以来、私はずっと白黒テレビをカラーで見ていました。
今でも、その最初の記憶を、鮮やかに思い出すことができます。
2歳のとき、両親とともにボクシングの試合を見ていました。
私が、「こっちの青いズボンの人」と言ったとき、両親が怪訝な顔をしたのです。
そして、「じゃあ、こっちの人のズボンは?」と、聞きました。
「こっちの人は赤」
後日、両親は私を眼科に連れて行きました。
「この子は、白黒テレビなのに色が見えると言うんです」
眼科医の回答は、こうでした。
「幼いお子さんには、そういうことはわりとあります。気にしなくても大丈夫ですよ」
眼科医の言葉に安心したのでしょうか。
両親は、私をウソつき呼ばわりすることもなく、好きにさせてくれました。
「テレビは白と黒にしか見えない」と知っても、私は相変わらずカラーで映像を楽しんでいました。
ただ、白と黒にしか見えない世界も気になったので、「今日は白黒で見てみよう」と頭の中で決めてから、テレビを見てみたら、本当に白と黒だけの映像が
見えました。
4歳くらいになると、近所の友達を集めて、「白黒テレビをカラーで見る方法」を教えるようになりました。
方法も何も、ただ「カラーで見る」と頭の中で決めるだけです。
とても簡単です。
ところが、周りの誰もコレができなかったので、とても不思議でした。
そのころになると、「この番組はカラーで見よう」
「これは白黒のままでいいや」と、自分で選べるようになっていました。
白黒とカラーの切り換え方法は、「頭の中で決めるだけ」という、実に簡単なものでした。
7歳になって家にカラーテレビが来ても、まだすべての番組がカラーではなかったので、一人で「白黒/カラー」の切り換えをしていました。
すべての番組がカラーになったとき、私の頭の中の切り換えスイッチは、必要がなくなりました。
結果、モノクロをカラーで見るという、謎の力は失われました。
もしも、両親から「映像は白と黒だけ!」と、しつこく言われていたら、私の力は、7歳よりも前に、なくなっていたかもしれません。
「知ること=知識を得ること」は大事です。
しかし、それによって、失われるものもあるのだと思います。
知らないからこそ、何の疑いも持たずに信じられる。
これは、「思い込み」とも換言できますが、「思い込み」には、何かを実現する力があると、いまだに私は思っています。
これは、数え年7歳までの子どもは人ではなく、神の子であるとして大切にされた。
また7歳までの子どもの魂は、身体から離脱しやすいと考えられていたので、魂を身体から離れさせまいとする儀式が、7歳までの通過儀礼には一貫してある、という意味を持つ言葉です。
さらに言いますと、7歳までの子どもは、大人が失った力を持っていることがあります。
それは千里眼であったり、オーラ視であったり。
幼ければ幼いほど、こういった力は大きいのですが、成長とともに常識という知識を得るにつれ、その力を失ってゆきます。
すべての子どもがそうであるとは言えませんが、こういった子どもは意外と身近にいるものです。
私自身がそうでした。
今では考えられないことですが、かつてテレビ画面は白黒オンリーでした。
私の家にカラーテレビが来たのは、7歳のときです。
それでも、物心がついて以来、私はずっと白黒テレビをカラーで見ていました。
今でも、その最初の記憶を、鮮やかに思い出すことができます。
2歳のとき、両親とともにボクシングの試合を見ていました。
私が、「こっちの青いズボンの人」と言ったとき、両親が怪訝な顔をしたのです。
そして、「じゃあ、こっちの人のズボンは?」と、聞きました。
「こっちの人は赤」
後日、両親は私を眼科に連れて行きました。
「この子は、白黒テレビなのに色が見えると言うんです」
眼科医の回答は、こうでした。
「幼いお子さんには、そういうことはわりとあります。気にしなくても大丈夫ですよ」
眼科医の言葉に安心したのでしょうか。
両親は、私をウソつき呼ばわりすることもなく、好きにさせてくれました。
「テレビは白と黒にしか見えない」と知っても、私は相変わらずカラーで映像を楽しんでいました。
ただ、白と黒にしか見えない世界も気になったので、「今日は白黒で見てみよう」と頭の中で決めてから、テレビを見てみたら、本当に白と黒だけの映像が
見えました。
4歳くらいになると、近所の友達を集めて、「白黒テレビをカラーで見る方法」を教えるようになりました。
方法も何も、ただ「カラーで見る」と頭の中で決めるだけです。
とても簡単です。
ところが、周りの誰もコレができなかったので、とても不思議でした。
そのころになると、「この番組はカラーで見よう」
「これは白黒のままでいいや」と、自分で選べるようになっていました。
白黒とカラーの切り換え方法は、「頭の中で決めるだけ」という、実に簡単なものでした。
7歳になって家にカラーテレビが来ても、まだすべての番組がカラーではなかったので、一人で「白黒/カラー」の切り換えをしていました。
すべての番組がカラーになったとき、私の頭の中の切り換えスイッチは、必要がなくなりました。
結果、モノクロをカラーで見るという、謎の力は失われました。
もしも、両親から「映像は白と黒だけ!」と、しつこく言われていたら、私の力は、7歳よりも前に、なくなっていたかもしれません。
「知ること=知識を得ること」は大事です。
しかし、それによって、失われるものもあるのだと思います。
知らないからこそ、何の疑いも持たずに信じられる。
これは、「思い込み」とも換言できますが、「思い込み」には、何かを実現する力があると、いまだに私は思っています。